厄払いの山歩き
| 武蔵御嶽神社、これで何度目の参拝だろう |
今年満59歳の自分、前厄らしいと気づいたのは5月の腰椎圧迫骨折のあと。普段は、宗教も神様も信じることはないが、災いが起きると、神様の力を借りて何とかしてほしいと思ってしまう。こうした発想は自分だけではないのではないだろうか。今回の厄払いも、終わったあとには「一仕事終えた」みたいな感覚が満ちてきた。
厄払いをしてきたのは、御岳山山頂に鎮座する武蔵御嶽神社。なぜここなのかというと、特別な理由はない。自分、山歩きが好きで、この神社も山歩きの途中で、これまで幾度となくお参りをしてきた。たしか、娘に起きた災厄の際もここにお祈りに来たはず。それに、この付近の集落の雰囲気が好きで、なんとなくスピリチュアルなものを感じていた。きっと以前読んだ浅田次郎の「神居ます(かみいます)山の物語」の影響もあるのだろう。そんなことで、なんとなく自然と愛着がわいてきたのだと思う。ただ、実際に社殿の中に入ったのは今回が初めてのこと。そこは、とても神聖な空気に包まれいて、登山客でざわざわした外の雰囲気からは一変して静寂に満ちていた。拝殿に入ると、神社のHPのトップ画にもなっている日本武尊と狼伝説の絵が人知れず佇んでいた。「ここにあったんだ」と、ひそかに胸が高まる。その後、家内とともに玉ぐしを供え、一通りの神事を終えることができて、気持ちは晴々とした。見上げると雲の間から日差しが差し込んできた。
今年に入ってからいろいろあったので、歩けるようになったら行こうねと家内と話をしていたお祓い。まだ腰にコルセットを身につけての山歩きだったが、行ってきてよかった。その道のりはとてもゆっくりとしたもので、何人もの人に後ろから追い越された。山歩きをしていたころ、何人もの登山者を追い越していた自分が、いま逆に追い越される。そんな現実を受け入れるというか、「こんな歩き方もありだな」と思いながら、これからの人生もゆっくりと歩んでいこうと、ふとそんな気持ちがわいてきた。
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